■ エイリアン・コヴェナントを見た 2017年10月04日 | |
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どんな映画か? エイリアン・コヴェナント
2000人の植民と多数の胚(未成熟な胎児)を乗せた恒星間航行宇宙船がトラブルに遭い、紆余曲折を経て降りた惑星には秘密があった、という映画。
要は、あの『エイリアン』がどうやって生まれたのかが明らかになる映画です。
総監督はリドリー・スコット(初代エイリアンやブレード・ランナーの監督)です。
感想 全体としては楽しめました。エイリアン好きだし。笑ったシーンもあるし(笑うべきシーンではないかも)。
ただ、いくらなんでもクルーがみんなバカすぎですよ。
なぜ『ちょっと良い惑星』があったからって未知の惑星に降りちゃうのか。
なぜ軌道上から観測しないでいきなり降りちゃうのか。
なぜ嵐が起きてるのにそこに突っ込むのか。
なぜマスクもなにも付けず、無防備に未知の惑星を歩き回るのか。
雑すぎるわ!
そして最後はサスペンス。人類的に怖いのはエイリアンではなく…。
社会がネクスト人類を意識し始めた ここ最近、『人間を越えた知的存在』、いわば『ネクスト人類』を扱った映画が多いような気がします。
・エイリアン・コヴェナント ・ブレード・ランナー2049 ・エクス・マキナ ・トランセンデンス ・オートマタ ・ルーシー
この手の話は『2001年宇宙の旅』とか、同アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』、『ブラッド・ミュージック』なんかの古典SFでも描かれていますね。
人類を越えるものの出現、あるいは人類自体が進化を促されて次の種になるという。
ターミネーターやマトリックスもそういう話です。
そもそもで言えばエヴァンゲリオンの『人類補完計画』もそういう話です。『上部構造への移行モノ』というジャンルになります。アニメでもよく扱われるテーマです。
最近はディープ・ラーニングによりAIが進化し、いずれ人間の知性を上回るだろうと言われています。というか、すでにある分野で人間はAIに勝てません。
そういう雰囲気が『人類を越える存在の出現物語』を望み、映画化させているんじゃないかって気がします。そこで描かれる『超人類』はたいてい人類にとって脅威であり、人類を滅ぼす悪として描かれたりします。
人類は役割を終えつつある 僕は、もし人類が人類を越えるような知的存在を作ったのなら、それで人類の役割は終わったのだと思っています。
だから、ターミネーターではスカイネットが勝利すべきだったし、オートマタでは人類の世界を去るロボットの背中に拍手を送るし、ブレード・ランナーの世界ではレプリカントが覇権を握るべきだと思っています。
超知的存在、言い換えれば『神』かも知れません。それが生まれ、安定的に自己増殖出来るようになったら人類の役割は本当に終わりです。
人類は宇宙に出るには弱すぎる ちょっと宇宙空間に出れば死ぬ、放射線で死ぬ、水や食べ物が無ければ死ぬ、仲違いして殺し合う、寝ないと死ぬ、人間というのは、本当に簡単に死にます。
それを宇宙空間や他の惑星で生かすのはとても大変です。人類は生命維持コストが高すぎるんですよ。
人類は宇宙開拓するには、本当に向いていない。
宇宙開拓をすべきは『神』で、人類は『神』を作ればそれで終わり。あとは神に任せればいい。神が人類を滅ぼすと言うのであれば仕方ありません。受け入れるしかない。
そういう意味で、人類は滅亡の一歩手前にいます。100年ではともかく、1000年後は滅亡してるんじゃないか。
そして、でも、個人的にはそれでいいと思っています。
だから僕は、コヴェナントのラストシーンで彼の背中に拍手を送っていたのです。
狂ってますかね?
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