Keijiweb ver 6.24 - 宗教は無能を生かすためのシステムだ

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■ 宗教は無能を生かすためのシステムだ 2010年02月22日
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言い切っちゃいますけど。

例えばキリスト教。カソリックの場合は教会が教区という地域を管轄し、そこに住む信者は日曜になると教会に行かねばならない。献金もする。教会に行かないと地獄に落とされるのでサボるわけにはいかない。

なにその恐怖政治。

そうやって恐怖を煽る手法は現代企業のマーケティングにも使われている。テレビはこのドラマを見ないと、このバラエティを見ないと流行に置いていかれますよと煽る。この番組を見て健康に良い食品を知らないと病気になりますよ、と脅す。得する情報を手に入れないとお金を損しますよ、と勧める。

宗教も同じだ。

仏教もカソリックも、悪いやつは神や教義を冒涜すると地獄に堕ちるぞ!と脅すのだ。

そうやってお布施だ供養料だ献金だとお金を巻き上げる。

そもそも聖職者と呼ばれる人たちは、読んでも腹もふくれない念仏を読んだり、豪華だからといって檀家が得をするわけでもない役立たずな寺を造る。昔はそうやって民衆の力をそぐことに意味があった。統治者が恐れるのは民衆が力を持ち、クーデターを起こすことだから。だから無駄な建造物を造らせたり、祭を行って金を使わせ、力をため込まないように発散させていたのだ。

でも現代は違うじゃん。

そういう宗教的な物が役に立たないってみんな知ってるじゃん。

親父が亡くなったときにつくづく思ったんだよ。親父が燃えた後の灰はただの灰で、それを墓に納めることにはなんの意味もないと。親父は死んで、そこで終わったんだ。お通夜から葬式、四十九日を経るその課程で僕ら家族の悲しみは少しだけ落ち着いた。思い出して、忘れて、また思い出して。思い出すたびに悲しみは癒された。葬式の機能というのは、まさにそこにある。念仏のリズムが思考をあやふやにし、悲しみを溶かすのだ。

セミの声と念仏が響く斎場で、そう考えてた。真夏なのに暑さも感じず。

おかげで今はあの悲しみも癒え、たまに親父を思い出しては寂しいなとは思うけど、胸が張り裂けそうな思いはなくなった。でもさ、そういう葬式の機能と、僕が坊さんに80万円渡すのは全然別の話だよね。お経を唱えてもらい、法名(一般的に戒名と呼ばれる物が、浄土真宗では法名と呼ばれています)を考えてもらうのにどうしてそういう金額が必要になるのか。墓だって最初にたててそのまんまって訳じゃなく、月々だったか年間だったか、管理費的な物を払っているのだ(母が)。なんだかんだでお金じゃん。

僕にとって法名もお経も位牌も仏壇も、すべては無価値だ。生きてる親父以上に価値がある物は無い。でも、それら無用な物だけが残って、僕はその無用な物に金を払った。葬式にも金を使った。親戚も花代としていくらかを払ったし香典ももらった(そして香典は葬儀屋に流れる)。が、そこになんの意味があったのだろう。

僕は未だに仏壇にある位牌を拝んだことはない。墓参りにもいかない。親父は僕の記憶の中で生きているから、わざわざそういう偶像をあがめる必要は無いのだ。


さて、そうなると神の無意味さも判ってもらえるだろうか。

この世に神なんて物はいない。そりゃ僕だって「神様!」と言うことはあるけど、本当にいるなんて思ってやしない。ただ、人間が作り出した複雑な社会を生きていく上で辛いことを受け入れるための装置として神や宗教があるのだ。現代ではその代わりのものがいくつもある。例えば自己啓発本、カウンセラー、徳の高い友達、勝間和代w。かつての人類はせいぜい100人程度の集団でくらしていた。そのような時代には例えばシャーマンや指導者が集団を率いただろう。適当な占いで適当な事を言って民衆を動かすのだ。当たれば奇跡、外れてもOK。

やがてそれは様式化され、宗教というシステムになったのだろう(宗教学とか全然知らないで書いてますが)。

その様式化の課程で宗教はある種のマニュアル化が行われ、一種のフランチャイズとなった。それが例えばカソリックの教会なのだ。神父はコンビニの店長みたいなもんだ。マニュアル化された様式だけ出来れば、どんなに他が無能でも神の代弁者になれ、安定した生活と地位が約束される。これは日本の寺の住職だって同じだ。

そういう歴史が積み重ねられ、宗教は確固たる地位と存在を築き今に至る。宗教法人は税金を納めなくて良いから広い土地を駐車場にすれば坊主丸儲けだし、僕の父方の祖父は大変バカな人で、小湊にかなりの土地を持っていたのらしいが酒を飲むとどんどん人にあげちゃう人だったそうだ。その中には今ではホテルになっている土地もあり、それはもともと寺に寄贈した土地だったのだそうだ。祖父からもらった土地を売ってしまったわけね、お寺は。そういう恨みからこれを書いてるわけじゃないけどもw。

無能が宗教という権威をかさにのさばる。そして人は宗教の違いのために仲違いをし、時には戦争までする。まったく愚かなことです。神様がいたら言うんじゃない?「みんな!あたしのために戦争しないでー!」って。でもいつも神様は「異教徒は人間じゃない!」と言わんばかりの勢いで戒律を守らせ、人を戦わせる。それはなぜかというと、神様はいなくて戦争させてるのは人間の欲望が原因だからです。

人はその欲望や業から解き放たれれば宗教になんか頼る必要がないんですよ。でも未だに宗教は無くなりそうにないので、難儀な生き物だなぁ、なんて思う次第。

もっけの悩みは、どうやって小湊にある墓を処分するか、かな。僕の骨は火葬したら散骨屋さんにでも頼んで海に捨ててもらってください。法名もいらないし葬式もやらなくていい。暗い墓の中に入れられて、その為に坊さんに金が渡るのなんてまっぴらごめんだ。


さて、こういう訳で僕は宗教を信じる気が全くないんだけど、文化としての宗教は実は好きです。文化としては興味深い物がたくさんあると思います。こういった客観的な視点を持つ日本人はかなり多いと思います。日本人ほど宗教を客観的に見られる民族はいないでしょう。その点で僕は、日本人は文化的には進んでいる思います。宗教に限りなく縛られていない。これで葬式や寺に対する態度がもっとライトになれば完璧なんですが、死の悲しみを癒すシステムが他にないのでしょうがないですかね。新葬儀、みたいなスタイルが発明されて定着すればいいんですけどね。

まとまりないですが、こんなとこで。あとは各自考えてTwitterにでもつぶやくといいです。


こんな駄文書いて、僕は間違いなく地獄行きだなヽ(´ー`)ノ


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